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ひたすら銀魂について熱く語るブログ。 有用な話は欠片もありません。 間違って来てしまった方ごめんなさい。
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そんな余裕ありませんって。

今日、免許取得以来始めて車を運転しました。
・・・・・・世の中の運転する人たちってすげぇな・・・・・・。
まあこうしてのん気にブログを書いてるので無事人を轢く事もなく車を破損することもなく帰ってきたわけですが、独り立ちできるのはいつのことやら。
もう免許更新して緑から青に変わっているというのに・・・・・・。



以下、暗い上に私事なのでたたみます。


3月上旬、祖父が亡くなっていました。
危篤に駆けつけて顔を見て翌日弟が行ったときは意識が戻ってその翌日は母とも話が出来たらしいのに。
容態が安定して意識が戻ったらまた行こうね、って行ってたのに、それを待たずして。
私が会いに行ってから1週間程だったと思います。
もうその頃私は引継ぎで一杯一杯で、「もう引き継ぎ出来ません」と行って会社に行かなくなった頃で。
「消えたい」「死にたい」と思っていた時期だったから、家族一致団結して私に知らせないようにしていたらしいです。
二つ下の弟まで協力して。
ホントにね、凄いと思うんだ。
祖父が亡くなったと聞いて、まずはびっくりして、ここ10年で2回くらいしか会っていないけど、やっぱり血のつながった家族がもう同じ地面にたっていないと思うと呆然として、何も考えられずただ涙だけが止まりませんでした。
そりゃ、ちょっと前の私にはいえなかっただろうな。
今日もふと「そういえばじいちゃんはどうなったの?」と何気なく口にして、母が瞬時にもの凄く悩んで、結局打ち明けてくれました。
黙っているのは「私のため」だけど、うそは絶対につけないから、と。
とことん噓が嫌いな母なんです。
私がそんな状態だったこともあり、他にも実家は色々複雑で結局葬式にも四十九日にも行けずじまいです。
でもそのことで自分を責める必要は無いんだよって訥々と説得されました。
うちはそういう家だって知ってるからそういう自責の仕方はしないし、話を聞くにきっと私どうこう関係なくお葬式にはいけなかったと思うから、それは大丈夫だけど、やっぱり大変なときにただ守られていた自分が凄く幸せだけど情けないなと思いました。
祖父の死に目に会えなかったことや、母を会わせてあげられなかったことではなくて。
そういう点、「死」に関して我が家はとてもドライですから。
どうして言ってくれなかったの?ていう気持ちは全然無くて、むしろ「そりゃ言えねぇや」って納得してるけど、ゴタゴタしてて父がポロっとこぼしたときも目の前にいたにも関わらず私全然気付いていなかったんですね。というかそんな話があったことも覚えていません。
2月以降、辛いながらもしっかりしていた気がしてたけど、どうにも話が合わないところがところどころあります。
思っているよりしっかりしていなかった模様です。

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